9/23『飢饉と料理 ― 来るべき食糧危機にそなえて』構想案
『飢饉と料理 ― 来るべき食糧危機にそなえて』構想案
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第1章 世界編
世界の歴史において飢饉は繰り返し訪れ、そのたびに人々の生活と文化を大きく変えてきました。気候変動、冷害、洪水、干ばつといった自然災害に加え、戦争や政策の失敗といった人為的要因も重なり、食糧不足は文明の存続を左右する深刻な問題となってきました。特に農業生産に依存する社会では、ひとたび主要作物が不作に陥れば瞬く間に飢餓が広がり、地域全体の人口が激減することも珍しくありませんでした。
中世ヨーロッパの大飢饉、インドのベンガル飢饉、アイルランドのジャガイモ飢饉、そして20世紀の中国大躍進期の大飢饉。これらは異なる時代と地域に生じた出来事ですが、共通して「特定の食材への依存」「食糧流通の制約」「社会の不平等」が人々を苦しめる要因となっていました。飢饉は単に食糧が不足するだけでなく、疫病の流行、社会秩序の崩壊、人口移動の加速をも引き起こしました。
しかし同時に、飢饉の歴史は人間の「生存への工夫」を記録したものでもあります。草の根や木の皮を食用にしたり、雑穀や芋類を代替食に活用したりと、人々は限られた資源を最大限に生かす方法を模索しました。これらの工夫は単なる苦肉の策にとどまらず、後世の食文化や農業技術に影響を与えることもありました。
本章では、世界各地の飢饉の事例を取り上げ、その歴史的背景、食材と調理法、そして生存の工夫を見ていきます。過去の人々がいかにして困難を乗り越え、命をつなごうとしたのかを理解することは、現代の私たちが来るべき食糧危機に備える上で大きな示唆を与えてくれるでしょう。
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1-1. 中世ヨーロッパ大飢饉(1315–1317年)
歴史的背景
1315年から1317年にかけてヨーロッパ全土を襲った大飢饉は、寒冷化と異常気象による長雨が主因でした。小氷期の始まりとされるこの時期、夏は冷害と洪水で穀物が実らず、冬は厳しい寒さで家畜の飼料も不足しました。穀物収穫量は半減し、特に人口が増加していた北西ヨーロッパでは食糧供給が追いつかず、都市でも農村でも深刻な飢えが広がりました。農民や都市労働者が打撃を受けただけでなく、貴族や修道院も財政難に陥り、社会不安が増大しました。
食材・調理法
飢饉下では、人々は保存されていた古い穀物、カビの生えたライ麦や小麦をやむなく食べました。これが「エルゴート中毒」を引き起こし、幻覚や壊疽などの症状をもたらしました。肉や乳製品も不足し、腐敗した食材を煮て食べることもありました。パンに混ぜるために樹皮や藁を粉末にして使用する例も記録されています。通常なら家畜の餌とされる豆や雑草を煮て粥にし、塩漬けにして保存するなど、調理法はきわめて単調で栄養不足に陥りました。
生存の工夫
極限状態の中で人々は生き延びる工夫を模索しました。ドングリや木の根をすりつぶし、毒抜きをしてパンや粥に混ぜる方法が広がりました。キノコや野草を積極的に採取し、スープの具として利用しました。また、穀物の分配を調整するために共同体や教会が倉庫を設けるなど、限られた食料を共同管理する試みも行われました。結果として多くの命が失われたものの、これらの経験は後世の農業改革や食料備蓄の制度へとつながり、ヨーロッパ社会に「飢饉にどう備えるか」という重要な教訓を残しました。
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1-2. インド・ベンガル飢饉(1770年、1943年)
歴史的背景
インドのベンガル地方では、二度にわたり壊滅的な飢饉が記録されています。最初は1770年、モンスーンの不順と洪水・干ばつが重なり、収穫が激減しました。加えて当時のイギリス東インド会社による重税と輸出優先の政策が、農民から食糧を奪いました。その結果、数百万人が餓死したとされています。さらに1943年、第二次世界大戦中に再び大飢饉が発生しました。日本軍の進出を恐れたイギリスは米の備蓄を戦略的に移動し、輸送網も戦時統制で混乱しました。洪水被害と米価の高騰が拍車をかけ、ベンガル全域で推定200万〜300万人が命を落としました。
食材・調理法
飢饉の中で人々は米に代わる食材を探しました。1770年の飢饉では、サツマイモやキャッサバの根を茹でたり、野草や豆を煮て食べたりしました。1943年には、ジャガリ(粗糖)、雑穀、わずかな魚の干物が代替食材として用いられました。通常なら家畜の餌にされるクズ米や籾殻混じりの米をそのまま炊くこともあり、栄養失調を悪化させました。
生存の工夫
村人たちは生き延びるために共同で調理を行い、雑草や樹皮を粉にして団子状にして分け合いました。宗教施設や慈善団体が施粥活動を行った記録も残されています。中には、少量の米をおかゆにして家族全員で分ける「薄粥の知恵」が広まりました。さらにスパイスや塩を加えてわずかな風味を保ち、心理的な飢えを和らげようとしたといいます。ベンガル飢饉は、自然災害と人為的な政策が重なれば、いかにして食糧危機が拡大するかを示す象徴的な事例となりました。
1-3. アイルランド・ジャガイモ飢饉(1845–1849年)
歴史的背景
19世紀半ばのアイルランドは、人口の大部分が農村に暮らし、その多くがジャガイモに依存していました。1845年から発生したジャガイモ疫病(フィトフトラ菌)が連続して収穫を壊滅させ、数年間にわたり主食が消失しました。イギリス政府の救済政策は不十分で、輸出用の穀物や畜産物はイギリス本土に送られる一方、農民は飢餓に苦しみました。この結果、推定100万人が死亡し、さらに200万人以上がアメリカなどに移民する大規模な人口流出が起こりました。アイルランド社会に深い傷を残したこの出来事は「グレート・ハンガー」と呼ばれています。
食材・調理法
飢饉下では、わずかに残ったジャガイモを切り分けて煮たり、腐敗した芋を削って使用することが行われました。また、イラクサや野草を煮たスープや、海岸で採取した海藻を乾燥させて粥の具にしました。乳製品や肉類はほとんど手に入らず、トウモロコシ粉を使った「イエロー・ミール」が救援物資として配られましたが、消化が難しく病気を悪化させることもありました。
生存の工夫
人々は少量の食材を家族全員で分け合うために、スープやおかゆの形に調理することが多くなりました。海草(ケルプ)を粉にしてパンに混ぜたり、根菜を干して保存する工夫も見られました。さらに、移民として新天地に渡ること自体も「生存の選択肢」となり、飢饉はアイルランドの人口構造や文化に大きな転換をもたらしました。のちに映画『タイタニック』でも描かれるように、移民船でアメリカに渡った人々の背景には、このジャガイモ飢饉の悲劇が色濃く影を落としていました。
1-5. パレスチナの飢饉と食糧危機
歴史的背景
パレスチナの地は古代から「肥沃な三日月地帯」の一部として農業が営まれてきました。しかし度重なる戦乱や占領、封鎖と干ばつによって、安定した食糧供給はしばしば脅かされてきました。オスマン帝国時代には第一次世界大戦の影響で1915年に飢饉が発生し、多くの人々が命を落としました。現代においても紛争と封鎖によって物流が滞り、農業用水や燃料の不足が深刻化し、慢性的な食糧危機が続いています。これらの状況は、単なる自然災害だけでなく、政治的・軍事的要因が飢餓を増幅させる典型例といえます。
食材・調理法
困難な環境下でも、人々は地中海沿岸で得られるわずかな野菜や豆類、オリーブ油を活用しました。保存の利く乾燥豆やレンズ豆はスープの基本となり、穀物が不足すれば雑草や野草を混ぜ込んだパンが焼かれました。オリーブやザアタル(ハーブミックス)、乾燥チーズは貴重な栄養源であり、家庭ごとに工夫して少量を分け合いました。
生存の工夫
共同体の結束は生存の大きな支えでした。村や家族単位で食材を持ち寄り、大鍋で煮込んだスープを分け合う「施粥」の習慣が受け継がれました。また、都市部においては配給や国際援助に頼りつつも、伝統的な保存食や干物、乾燥ハーブを工夫して長期保存を可能にしました。限られた資源を最大限に生かしながら、人々は食文化を守り抜き、アイデンティティを失わずに生き延びてきました。パレスチナの飢饉の歴史は、食の危機が単なる自然災害だけでなく、社会・政治的文脈と深く結びついていることを示しています。
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